低温の情熱 phase1

牌山から手元に牌を引き寄せ
手牌から牌を河に切り出す。
何万回も見てきた一連の動き。
だが、視線を釘付けにされたのは初めてだった。

流れるようなその動作は、途中で止まるという事が無い。
液体の対流を思わせる滑らかさで、牌が置かれる。
どこにも力が入っていないので緩慢に見えるが、実際は誰よりも速い。

舞の観客の如く見惚れていると、私のツモ番が来ていた。




就職した私は、千葉の船橋にいた。

東京での入社式の後、新入社員は研修施設へと運ばれる。
宿泊所と研修所が一つになった複合施設の中で、1ヶ月程の研修を行う為だ。

ビジネスマナー・会社の概要・専門知識・職場見学
日中は雑多なプログラムを消化し、夕方以降は自由行動だ。

全員が同じ場所で生活している為、必然的に夜は同期同士での飲み会が開かれる。
みんな仲間を作ろうと必死なのだ。
友達ができずに、ひとりになってしまう事への強迫観念が見て取れた。

私はというと、かなり戸惑っていた。

チンピラに囲まれて、切った張ったの世界にいた私にとって、同期は別世界の人々だった。
なんというか、皆育ちが良い。
金持ちだとか家柄が良いとか、そういう事ではない。
今までの人間関係の中で築かれた考え方や、人との付き合い方がフラットなのだ。
「まっとうさ」と言い替えても良い。とにかく皆世間ずれしていない。
捻くれまくっていた私とは大違いだ。

また、基本的に頭が良い人が多かった。
東大・京大等の私でも知っているような有名大学出身の人間もゴロゴロいたし、
英語に堪能な者、MBAを取得している者もチラホラと見かけた。

「学歴で頭の良さは測れない」

という俗説があるけれど、それは

「学歴が良い事が優秀である事の十分条件では無い」

という意味であって、やはり傾向として高学歴の人には賢い人が多い。
地方の高専卒である私は、尻込みせざる負えない。
10日も経つと、同期の中でもグループが出来てきた。
職種が近い者や出身地が同じ者同士で、飲み屋に繰り出すのだ。
そうやって仲良くなった奴らは、今でもつるんでいる。
入社直後の関係構築は、コネ作りとしては結構重要なのだ。

私は、どこのグループにも属していなかった。
ハブられていた訳ではない。
事実、毎晩違うグループと飲みに行き、それなりに談笑したりはした。
だが、いつも1次会で席を外し、9時か10時前頃にはひとりになっていた。
別に苦痛を感じたりしていた訳では無かったが、まだどうして良いかわからなかったのだ。
それに・・・やりたい事もあった。

当然、麻雀だ。

地元ではあまりフリーに行っていなかった私にとって、上京する際の一番の興味は雀荘の事だった。
知らない店で、見知らぬ人間達と牌を握れる。
胡散臭い人間達と狭い世界で打っていた私にしてみれば、天国の様な環境に思える。
船橋に来て以来、毎日違う雀荘に赴いていた。

船橋の雀荘は、客層が危ない店が多かった。
タチの悪そうな年配の常連に、地場のチンピラ達が汚い店で牌を打ちつけている。
そんな所にいかにも「新入社員です」という若造がスーツで乗り込むのだ。
「カモが来やがったぜ」「麻雀知ってるのか?」
そんな目で見られる事が多かった。(私の自意識過剰かもしれないが)

元来勝気で負けん気が強い私だ。
そういう状況の方が燃えてくる。

「絶対に負けてやらねぇぞ!」

麻雀に絶対など無いが、そんな闘志を燃やして毎日激闘を繰り返していた私に、勝利の女神は微笑み続けていた。
連戦連勝。痛快だった。
10日間での収支は、+20万Pに上った。

「なんだ、船橋は大したこと無いのかな・・・」

そんな勘違いで有頂天だった私。
馬鹿丸出しである。
だが、そんな天狗の鼻もへし折られる事になる。

その日も場末の雀荘で、他の客に敵意丸出しで挑んでいた。
今思えば、ずいぶんと荒い麻雀を打っていたと思う。
たまたまそれがハマり、12時までにそれなりの収支を上げていた。
いつも4時頃まで打った後、寝床に戻る生活だったので

「あと、7・8ゲーム打てれば上出来だな」

と内心ごちた。

半荘が終わり、対面の客が抜けた。
すぐに次の客が案内されたのだが、その客の顔を見て固まってしまった。

(こいつ、同期のヤツだ!確か・・・Sだったっけ)

細身のストライプスーツに、ブルーのタイをセミウィンザーで纏めている。
細いが、筋肉が圧縮されていそうな身体。短く立てた短髪は墨のように黒い。
色白でシャープな顔立ちに、赤いセルフレームの眼鏡が良く似合っている。
その眼鏡の奥の瞳が私を認めると微かに笑ったような気がしたが、すぐに無表情になった。

(なるほど、卓上に無関係な事柄は持ち込まないって事かな)

お互いに言葉を交わす事も無く、ただサイコロを振った。

Sの打牌動作を見て、戦慄した。

滑らかで、柔らかく、速い。
こんなに優雅な牌の扱いを、私は見た事が無かった。
特に私は牌捌きにコンプレックスがあったので、尚更Sの動作は神がかって見えた。

(こいつは・・・とんでも無い打ち手なのかも知れない)

牌捌きと雀力がイコールでは無い。
だが、ある程度の相関があるのは誰もが認めるところだろう。
この年齢で、この熟達。
Sが麻雀打ちとして濃密な時間を過ごして来た事が、端的に伺える。

私は警戒の度合いを最大限に上げた。

とは言っても、麻雀においてやる事の選択肢などそう多くは無い。
結局はそれまでの棒攻めを繰り返すだけだった。
リーチを掛けようが仕掛けが入ろうが、Sは一定のリズムで打ち続ける。
自らが攻撃する時も同じだ。
牌を引き寄せると同時に「リーチ」と発生し、通常とまったく同じ動作で牌を横に置く。
リーチ後は牌を河の上で認識しているらしく、ツモった時以外は山より前に手を引く事が無い。
確か彼の初和了はダマのピンフドラ1だったと思う。

「700・1300の1本付けです」

「ナナヒャクセンサンビャク」と正式に申告しているのが印象的だった。

何も考えない攻めが功を奏し、私は3連勝した。
Sは3連2着だ。
Sの麻雀はとにかく堅く、字牌を絞りながら早目にオリに回っていたような気がする。
脇の二人と私が叩き合っている隙に、安い和了で確実に加点していた。
派手な立ち回りは無かったが、とにかくSは落ち着いていた。
表情が変わることは無いし、動きに澱みも無い。
勝っているのは私の筈だったが、終始気圧されていた。

4戦目は客のひとりがトップを取り、私は3着。
Sは相変わらず2着を取っていた。
そのゲームで卓が割れたので、まだ早かったが渋々店を出た。

当然、Sも店を出る。
そして、帰る場所は同じなのだ。
5分ほど無言で私の先を歩いていたSが、不意に振り返った。

「巷君だよね?さっきはどうも」
「どうも・・・Sさんですよね?」

向こうの方が年上なので、一応敬語を使う。

「驚いたよ、まさか同期と同卓するとは」
「そんな風には見えませんでしたけど。冷静沈着だったじゃないですか」
「そうかな?とりあえず、一杯行く?」

断る理由も無かったので承諾し、手近な居酒屋に入る。

彼との出会いがその後の麻雀観を大きく変える事になるとは
当時の私は思ってもいなかった。

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