低温の情熱 phase6

研修が終わった。

同期達は、それぞれが勤務先に応じた新しい住処に旅立っていった。
私は東京だったので、荒川区の都電沿いのマンションに決まった。

ちょうどゴールデンウィークの時期だったので
皆は部屋を品定めした後、すぐに実家に帰り
一人暮らしの道具を移したり調達したりしていた。

私はと言うと

研修施設から新しい部屋に着いた直後に
何も無い部屋のフローリングで、鞄を枕に泥のように眠った。
眠くて仕方が無かった。

もう、麻雀の夢は見なかった。


12時間程眠って
近所のコンビニで食事を買い
カーテンの無い部屋で食べていると、Sからメールが来た。

「明日の夜新幹線に乗る。それまで遊ばないか?」

との事だった。
Sは大阪の配属なので、住所もあちらになる。
今日は同期の家で飲んでいるはずだ。

明日は東京見物でもするんだろうか?

私は成人式の日程に合わせて帰省するつもりだったので
まだ時間に余裕はあった。(新潟の成人式はGWにやるのだ)

「いいよ。でも、麻雀以外でな」

そう返信すると、すぐに

「そんな訳ないだろ。じゃあ10時に新橋な」

と返事があった。
まぁそりゃそうか。


翌日

9時50分に新橋に着くと、もう私以外のメンバーは集合していた。
あの研修のメンバーだった。

最優秀提案を取った研修の後
そのメンバーで飲みに行ったので、わりとこの面子とは仲が良くなっていた。
今でもこいつらとは交流がある。
研修で得た物も、それなりにあるのだ。

「巷、遅い」
「10分前じゃん・・・早ぇよ」

なんとなく皆のリーダー格になっているSに窘められ
東京見物がスタートした。


新橋集合なので、てっきりお台場に行くのかと思っていたら
目的地は主に銀座と浜松町だった。
最新の建築物を見るのが目的らしい。
さすが、建築系の会社である。(自分は?)

東京育ちの同期の案内で、最近建造されたビルを中心に見て回った。

私は建築系の勉強をまったくしないまま入社したので
設計者がどこに着眼するのかがおぼろげながらわかって
仕事を始める前のちょっとした予行演習になった。

店を見て廻り
ちょっと高めの食事を食べ
軽くカラオケをしていたら、すぐに夕方になった。

Sを含む関西組の乗る新幹線は七時半頃の出発だったので
皆で東京駅に見送りに行く事に。

7時前に東京駅に着き、新幹線のホームで雑談する。

他の同期と少し離れた場所で
私とSは缶コーヒーを飲みながら話をしていた。

「関西事業本部、キツいらしいじゃん。でもまぁSなら余裕かな」
「どうかな。関西弁苦手なんだよなぁ」

Sは群馬出身だ。

関東出身で関西に配属になるケースは珍しい。
工務系の仕事というのは、関西の方が過酷だと言われている。
気が強く、土着のコミニティの結束が固いからだ。

そこにわざわざ配属されるという事は
やはり会社側もSに期待しているのだろう。
エリートコースと言って良い。

「次に会った時は俺の上司かもな。今のうちに敬語使っとく?」
「バカ、そんな訳無いだろ」

そんな軽口を叩きながら、きっかけを探していた
どうしても聞いておきたい事があったのだ。


でも、そういうのを自然に切り出すのは苦手だ。
結局は会話が途切れた時に直球で聞いた。

「なぁ」
「何?」
「3つ教えてもらって良いか?」
「なんだよ、多いな」

「何で外で麻雀の話をしない? あの単騎は何だったんだ?」

頑なに麻雀の話題を避ける理由
あの見逃しからの直撃の根拠
考えたけど、結局わからなかった。

Sは何も言わない

「そして、俺という打ち手はどうだった?」


本当に聞きたかったのは、3つ目だった。

あのサシウマは私の完敗だった。
それは良い。
でも、Sから見て私はどんな印象だったのか?

強かったのか?弱かったのか?
読みやすかったか?わかりにくかったか?

そんな事が気になって仕方が無かった。

正直、情けないと思う。
女々しいと思う。
こんな事を相手に聞くのは、自信の無さの露呈だ。

だが、聞かずにはいられなかった。


Sが黙り込んだ
何か思案しているように見える。

十分に答えが練られたのだろう。
話始めたSの口調は、説明しなれた工程を言い聞かせる教師のようだった。

「まず、単騎だけど」

「あの日、巷は乗りに乗っていたよね?」
「俺は座ってるだけで収支がどんどんマイナスに振れていった」
「このままじゃまずいと思いつつも、それまで何もできなかった」

「そこで、あのリーチ」
「『単騎のまま追いかけるのも悪くないかな』と思った矢先に、巷が手牌の右から2番目からnを抜いた」
「それを見た瞬間に、あの場での北の在処がわかった」

「皆が字牌から嫌っている状況で、なぜのみが生牌なのか?」
「山に深いか誰かが固めているかだけど」
「仮に北家が対子で持っていて軽く捌かれるとまずいから、絞りながら待ちにしていた」

「巷はホンイツ系の捨て牌だったけど、まず和了には向かってこないだろう」
「そこに目下の2着目の北家のリーチに1発で生牌のを手牌の間から凄いスピードで捨てたんだ」
「最低でも対子、おそらくは暗刻だと思った」
「そう思ったら、見逃してた。『ここしか無い』と思ったんだ」


あの切迫した状況の中で
私が精一杯のスピードで抜いた牌の位置を確認し
そこからの居場所を推理し
直撃を取る為に見逃したのか。

ここまでコンマ何秒の世界
まさに刹那の判断

結局は私のノータイムの切りが甘かったのだ
あの時素直にを打っておけば、あの和了は無かった。

それだけでは無い。

「勝利は目前だ」という油断
Sのリーチの理由に対する読み間違い
度重なる疲労

そして
考える事を放棄して打った

あのリーチは、そんな私の心の隙にSが打ったリーチだった。
決定的な場面で、意識レベルの戦いで私は負けたのだ。

ところが、Sは意外な事を口にした。


「でもね、あのリーチは失敗だったと思ってる」

「えっ?なんで??完璧だったじゃん」

「あの時俺は、完全にツモ切りでリーチを打っただろ?」
「あの状況でそんな事をすれば、巷に北単騎を読まれる可能性がある」
「空切りがベストだけど、それが出来ないんならもっと目立たない形でリーチをするべきだった」
「気持ちが逸って、それが判断できなかった。後から考えたんだけど、巷は点棒状況に合わせたリーチだと考えたんじゃないか?」
その通り。
リーチ棒を加味した見事な順位感覚だと思った。

頷くと、Sは笑いながら首を振った

「全然点数なんか見てなかった。『巷から直撃を取れば決められる』とそればっかり考えててね
」 「点棒状況がもっと違っていたら、巷は北を打たなかったかもしれない。だから、あれは過程が間違っていて結果オーライになった判断だったんだよ」
いや、そんな無茶苦茶な

どちらにしろ、あの場では北しか切るものが無かったはずだ。
確かに現物が潤沢にあればそれを打っただろうけど
あの場に現物は少ないし、何より私は手を抜いてを打った。

だいたい・・・

「お前さ、『気持ちが逸る』って全然そんな様子なかったぞ?淡々とリーチを打ったように見えた」

Sは一瞬目を丸くして
その後意地悪く微笑んだ

「そう思ってくれてたんなら、成功かな」
「実は俺、ほとんど限界だったんだ。体も心もね」
「巷はいつまで経っても成績を落とさないし、毎日寝る時間が無いし・・・」
「元々、お互いのメンタルの潰し合いになると思っていたから、相当覚悟していたんだけど」
「あんなにキツイ勝負になるとは思わなかった。あと一日あったら、俺が崩れていただろうね」

信じ難い思いで、Sの告白を聞いた。

「これが3つ目の回答にもなるんだけど」
「お前はやっかいな相手だったよ」
「何回ペースを奪ったと思っても、無理矢理攻めてすぐに主導権を握る」
「調子に乗らせると止まらなくなる。脇の二人まで味方につけて、3対1の状況を作ってくる」
「どんなところからでもリーチ一発でひっくり返すから、いつも安心ができない」
「麻雀に粗い所も多かったけど、凄いプレッシャーだった。強かったよ」

これも意外な言葉だった。

私がどれだけ攻めても、Sは穏やかな顔で淡々と対応していたし
私などまったく意に介していないように見えていた。

私一人が辛いと感じていたのでは無く
Sもまた必死に自分を支えていたのだ。

Sは普通の人間だった。
折れそうな自分と戦い
意志の力で、なんとか卓上でのパフォーマンスを保っていた。


「全然そうは見えなかった・・・」

「できるだけ、表に出さないようにしてたよ。ポーカーフェイスは博打の基本だしね。それに・・・」

「それに?」

「途中から巷が憎たらしくてしょうがなくなって、『絶対コイツには弱ってる所見せねぇ!』って決めててね」
「後半は『ぜってぇ負けねぇ!!』っていう意地だけだった。よく保ったもんだよ」

そうだったのか・・・

Sは冷静な人間なんかじゃ無かった
穏やかな仮面の下に、煮えたぎる情熱を隠して
それを表に出さないように自制心で抑え切り

そして、私との我慢比べに勝った。

なんの事は無い
私はSのメンタルに負けたのだ。
決してロボットに技術で負けた訳では無かった。


(これは、完全に人間として俺の敗けだ・・・)

ここまで完璧に負けると
清々しかった。
もう、私は満足していた。

「なんだよ、ニヤニヤして・・・ 気持ち悪い」

怪訝そうなSの言葉を無視して
私は甘い敗北感に浸かっていた

「それはそうと、巷から見て俺はどうだったんだ?こっちも聞かせろよ」

Sが、ある意味当然の問い掛けをして来た。
どう答えようか少し迷い

「いつでも涼しい顔してるから、殴りたくてしょうが無かったよ」

と茶化しておいた。
勝者に勝利以外の物を渡してたまるか。

納得いかなそうなSが何か文句を言おうとした時
同期に呼ばれた。
もう新幹線が発車するらしい。

「クソっ、次は聞かせろよ!」

鞄を引き摺りながら、Sがドアに向かって走る。
その背中に声を投げてみた

「そうだ、1個目の回答は?」
「お前、自分の方は聞くのかよ・・・」

少し首を捻った後

「次回までの宿題だ!」

そう言い放って、車中に体を滑り込ませるS。
その10秒後ドアが閉まり
Sは大阪に旅立っていった。

余裕をもってホームに行ったのに、なぜか慌しい出発になってしまった。


東京組の同期の誘いを断って
私は真っ直ぐに雀荘へ向かう。

麻雀が打ちたくて仕方が無かった。




ここまでが入社してから1ヶ月間のお話。
Sの影響で麻雀への考え方はかなり変わった。

打った後に少しでも良いから必ず検討をする
表情や仕草にできるだけ何も出さない
早い動作が隙になる事もある 一定さが大切

これらは、今でも私の中に根付いている考え方だ。
勝負には負けて金銭は失ったけれど
それ以上に私を成長させてくれた。
授業料と考えると、格安だと言える。


この後

Sは大阪で着実にキャリアを積み
4年後、東京に戻ってくる。

その時には私もSも入社時よりもずっと腕を上げていて
Sの静かな情熱は、ある結実を迎えるのだが――


それにはまだ役者が足りない
他の打ち手達の話に先を譲り
また違う場で語ろうと思う。