痛さと魅力を両方出すことで人気の麻雀ブログは作られる

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人気麻雀ブログを作るには 4/5


執筆者紹介:福地誠(ふくち まこと)

東京大学卒業後、雑誌「近代麻雀」編集を経て現在はフリーランスライター。数多くの麻雀関連書籍の執筆・編集を手がける。代表作に「アカギ悪魔の戦術 (近代麻雀コミックス) 」「おしえて!科学する麻雀 (編集)」「カンチャン待ち麻雀人生相談」など。近年は麻雀指導者としての一面も持ち、旧時代の戦術がまかり通る雀荘に匿名で赴き、実戦の場に身を置くことで新時代の麻雀戦術を啓蒙している。一方で教育ライターとしての活動も行っており、麻雀と教育が同時に語れる新しいタイプの論客として注目を集めている。【ブログ】福地誠Blog

◆痛さと魅力を両方出す

 さっきから単純に「面白さ」や「魅力」という言葉を使っていますが、じゃあ面白いブログってどーゆーの?と聞かれると、難しいですよね。王道をいく面白いブログって、じつは少ないものです。「小市民的三確マニュアル」は、文章が上手く、ネタも面白く、王道をいく面白いブログだと思います。書いている刻子市民さんは天鳳九段の強豪ですが、六段時代から同じスタンスで書いているので、強豪だから評価されているわけじゃないでしょう。純粋に面白さで評価されています。ですが、同じようなブログを書くのは至難の業で、普通の人には無理ですね。すごくセンスが必要で、一般水準とはいえません。

[小市民的三確マニュアル](リンク切れ)
[創作短編 その4 ]小市民的三確マニュアルより(リンク切れ)

 王道をいく面白さを実現するのって難しいものです。また、上手い文章で書かれた王道ブログを評価するのって、一部の文章マニアみたいな人たちなのです。多くの人は、そんなあっさりした面白さよりも、もっと下品で味付けの濃い面白さを求めます。それはたとえば天鳳狂いブログですね。

[天鳳狂いブログ]

 天鳳狂いブログは、短くて単純でわかりやすいのが特徴です。漫画の1コマ引用も多いですね。ただし、下品とまでは言えません。

 じゃあ、どういうのが下品なのか? 悪口、喧嘩、スキャンダル、自慢、差別的な話、エロネタ、うんこネタなどです。

 具体例はないですけど(気をつかっているわけじゃなく本当にありません)、こういうブログがあったら間違いなく受けますね。近いのは2ちゃんねるでしょう。たとえば「1日1バカ」というタイトルで、自分が出会ったバカ雀士の話を書くブログがあったらどうでしょう。相手を実名で書くと受けるんじゃないですかね。

 そういうのは誰もやろうとしません。なぜか。叩かれるのが嫌だからです。そこまで極端じゃないにしても、誰しも自分の立場を守ることに、すごく神経を使っています。

 天鳳狂いブログを書いているヒゲロングさんは、イケメンでホモだと噂を立てられても、まったく言い訳しません。実際には多少かっこいいくらいだし、ホモではないと思うのですが、すべてネタとして扱っています。たぶん内心ではけっこう嫌なんじゃないかと思いますけど、いさぎよさを保っています。

 こういう例を挙げると、「ネタのために体を張れってこと?」「受けを優先して、無責任なあおりをすすめるってどーなのよ?」という反応が返ってきそうです。そう、そういうことなのです。どこまで保身を捨てられるかが大事なのです。

 これは一般論としては簡単でも、いざ自分のことになると、みんなものすごく過敏になります。叩かれないように伏線を張ったり条件を付けます。空気を読んでしまうのですね。しかし、空気を読むのは、みんなの仲間になる道であって、みんなの仲間というのは、言い方を変えるならその他大勢です。その他大勢に面白いブログが書けるわけがないのです。

 ここで冒頭の営業活動の話につながりますが、みんなの仲間になって空気を読んでコミュニティの一員になる方向性と、孤高の道を行く方向性があるのですね。といっても、孤高の道だと思えるのは、自分で想定している「自分のキャラ」を守りたいからであって、叩かれるようなことを書いても、すぐにそういうキャラに移行します。つまり問題は、自分がどういうキャラでありたいかなのです。自分の殻を破って人気ブログを作りたいか、自分で想定する「自分のキャラ」を守っていきたいかですね。

 たとえば、天鳳3級のヒゲショート君という人がいたとしましょう。「今日の振り込み」というタイトルで、毎日、振り込んだシーンの画像を貼って、「自分はいかにベストを尽くしたか。なのに不運が原因で今日も負けてしまったか。つの死ね!」と書いてたらどうでしょう。面白くないですか?

 かなり強い人じゃないと戦術を語らない傾向がありますよね。「鉄雑魚すぐるwww」と書かれたくないからでしょう。でも、3級の人が自分は最強だと語っちゃダメなんでしょうか。そう、これは痛い人になることです。痛い人はかならず受けます。その逆に、痛い人扱いされず受けるのは難しいのです。

 麻雀は勝ち負けがついて回るものですから、勝ったときは謙遜せず自慢したほうが面白いですし、負けたときも反省せずに復讐を誓ったほうが面白いですよね。つまり「いい人」にならないことです。身近に接するときは、いい人のほうがいいんですよ。でも、いい人の書いた文章はつまらないのです。面白いことを書くためには、少なくともブログでは、いい人をやめることです。本音の欲望に正直になることです。他人の突っ込みに対して、「釣れた釣れた」と論点をずらして防衛に走らないことです。

・叩かれることを恐れない
・自分のキャラを守らない
・痛い人扱いを恐れない
・いい人をやめる

 どうでしょう。単純な文章の上手い下手よりも、こういうことのほうがずっと大きいのです。無茶を言っているでしょうか。

「なんでそこまでして人気ブログを作んなきゃいけないの? 人格を売り渡せと言ってるのと同じでしょ」という返答がくるかもしれません。確かにそうですよね。そこまでして、なぜ受けなきゃいけないのかって気持ちになるのは当然だと思います。

 以前、知り合いの編集者によく言われました。「ライターってのは、ケツの穴までさらして自分を切り売りする仕事ですから」と。表現は下品ですけど、そういうことなのです。それはブログでも同様で、面白さというのはそう対価を払わないと得られないものなのです。

 さっき「内を語る文章」だけで書かれてるブログとして例に挙げた田舎雀荘メンバーの低脳日記。はけっこう人気あるんですよ。このブログの売りは何かといったら、頭の悪さです。「こいつ本当に馬鹿だよな」と思うのが楽しいから、何人もの人が読んでいるわけです。

 そういうんじゃなく、まっとうな面白さじゃないと嫌だという人は、小市民的三確マニュアルくらいのセンスを身につけ、半端じゃない文章力を持つことでしょう。それは途方もなく大変で、困難な道です。でも、そういう王道がないわけではありません。むちゃくちゃ高いレベルで実現できたときに、まずまずの人気ブログになれるでしょう。でも、大人気ブログにはなれませんね。

 阿佐田哲也がこんなことを書いています。他人から愛されるコツは、他人にない長所をひとつと、他人にない短所をひとつ持つことであると。長所がないと馬鹿にされるだけで終わってしまいます。短所がないと愛されません。長所と短所の両方が必要なのであると。

 これはブログでも同じなのです。長所も必要だし、短所も必要です。でも、どちらが大事かといったら短所なのです。長所なしの人気ブログはありえますけど、短所なしの人気ブログはありえません。

 短所なしのブログとは、たとえば、いししんさんという天鳳の強豪の「雀荘で働いて帰ったらネト麻する人の日記」ですね。強い人はどう強いのかをただ合理的に書いてあるだけで、面白くはないですね。彼は話せば面白い人なので、面白いブログを書く能力もあると思うのですが、そこまでする気合はなかったのでしょう。

[雀荘で働いて帰ったらネト麻する人の日記](リンク切れ)

 人格を入れ替えて痛い人になれっていうのは、あまりにも大変すぎるんじゃ? そんな感想を言われそうです。そこまで大げさな話じゃないんですよ。ようするに、飲み会で受けを取るのと一緒なのです。尊敬されながら受けるのって難しいじゃないですか。見事な黒田節をやったら受けますか? 裸踊りしたほうが受けるんじゃないですか? でも、やりすぎると嫌われるので、受けを取りつつ嫌われないための愛嬌も必要です。つまり、そういうことなのです。

 これができるかどうかには、年齢と職業も大きく関係します。会社員や公務員は、組織人としての自分ができていますから、かなり難しいですね。昼と夜を完全に切り替えられる人は別として、昼間の生活に支障が出ます。自営業や自由業の人は有利です。それでも、たかがブログのために痛さを出せる人はマレですね。プロの文筆業者は有利なようですが、面白いブログを書いている人は少ないので、個人的にはさほど関係ないと思っています。やはり圧倒的に有利なのは若い人です。とくに学生は、組織に縛られることも少なく、自分のキャラがそんなに定まっていないため、柔軟です。



人気麻雀ブログを作るには/福地誠 5/5
読ませる技術―コラム・エッセイの王道
山口 文憲
4838707983
コラムニスト山口文憲さんによるカルチャーセンターでの講座をまとめた内容になっている。文章の構成に関してはさまざまな事例が取り上げられ、初心者が陥りそうな落とし穴を的確に説明している良書。