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見出し

「オカルト」もリアルからネットへ ――
デジタル的オカルトの誕生、あるいは表現のすすめ 2/5


デジタル雀士とライトユーザの参入

麻雀の世界では昨今、「デジタル」という言葉が、「反オカルト」的な意味で用いられることが多い 【2】。これ自体はかなり不自然である。そもそも「デジタル」とは、連続値に対する離散値を表す概念である。「離散値」の反対概念として「不合理な諸概念」を置くのは無理がありすぎる。もともとこのような呼称は、長村大プロのキャッチフレーズ「デジタルの申し子」、あるいは片山まさゆき氏のマンガあたりから一般化したように思われるが、次第に「デジタル」が人口に膾炙して拡大解釈されてゆき、明確にされていない情報の大半が「アナログ」側に追いやられ、結果としていわゆる「オカルト(不合理な概念)」と一緒くたにされてしまったという経緯があったと記憶している 【3】

ともあれ、特にネット麻雀の誕生とデジタルの隆盛との間には深い関係を指摘せざるを得ない。これまで「そうかもしれない」と感じさせていた諸現象が、実は統計を取ってみたら錯覚でした、やはりそうはなりませんでした、といったことが明白にされ始めたのが一点。加えて、実際に牌を積まずにコンピュータの定型的な計算によって牌山が攪拌されるのに、「牌のナガレ」が発生すると感じるのもかなり無理がある。昭和時代に愛読された(「ナガレ」満載の)麻雀漫画を、ネットプレイヤーの中心をなす若手層があまり読まなくなっているという世代的問題もあろう。

だいいち、ネット麻雀のライトユーザは、「ナガレはあるか」とか「麻雀プロとは」といった「大きな物語」を背景とした言説を必ずしも好まない。大手ゲームサイト「ハンゲーム」の一角に「麻雀」がドデンと居座り、現実には1円にもなりはしないゲーム内マネーのやりとりについて、愛くるしいパンダが「保険金システム」などと称するおちゃらけたシステム解説をしている画像を見ればわかるとおり(「古き良き」雀士は失神または失禁するかもしれない)、良かれ悪しかれ、麻雀は「人生や金を賭けたバクチ」から、いよいよもって「ゲーム」化したのである 【4】

事実、ネット上で旧来の「オカルト」を口にすれば、(賛同もあれども)かなりの反発がある。

デジタル的オカルト

ではネットの登場とともにオカルトは駆逐されてしまったのか。そうではない。デジタル雀士ばかりが幅を利かせているのか。そうでもない。そうではなく、むしろ新しいオカルトが再生産される土壌ができたというのが実情だ。

まず、ネット麻雀においても、旧来のオカルトを信ずる者は現存する。確かに年齢が高い者が中心だが、若年層にも少ないわけではない。筆者のような「アンチオカルト(これを常識ある社会では、「まともな考え方をする人」と言う)」な人間は、想像を絶するほど叩かれたりもする。ある種の自らの信念が崩れ去ろうとするとき、人は頑なにそれを否定したがるものであり、気持ちはわからぬではない。しかしそれはここでは置いておこう。

何より、まったく新しいタイプのオカルトが登場する。彼らは、牌山生成のプログラムに偏りを見出し、着順に恣意性を感じ取る。見てもいない牌山攪拌プログラムを、さも見てきたかのように語り、筆者が中学生頃にさえ書かなかったであろう残念なプログラムを想定し、「こういうシステムを使っているから、ゲームの牌山は偏る」「そもそも、コンピュータでちゃんとした乱数を作成するのは無理で、何らかの偏りが生ずる」などと本気でまくしたてるのである 【5】(2ちゃんねる等での単なる愚痴ではない。公式の掲示板などに長文で何度も批判記事を書いていたりする)。あるいは、Rating(ネット麻雀において成績を表す値。Rと略される)が1600だの一定値に近づくと、「1600の壁」に妨げられ、とたんに相手のアタリ牌を連続してツモるような「モード」に入り、負けが続く仕組みが備わっているのだと主張し、同じような輩と同意しあっている【6】

「オカルト」もリアルからネットへ――デジタル的オカルトの誕生、あるいは表現のすすめ 3/5


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*2 もっとも、麻雀の世界でよくあることだが、「デジタル」という言葉にも種々雑多な概念がまったく整理されないまま押し込められ乱用されているフシがあり、必ずしもこのような意味だけを一般に表すわけではないことに留意されたい。麻雀関係者は、ルールの無意味な煩雑さを整理していないことからも類推できるとおり、諸概念の体系的整理がよほど苦手なようだ(デジタルとオカルトの対立の多くは、様式美のように下らない定義論争に堕する)。

*3 むろんご存知のとおり、現在の科学においては、原理的には世の中の全てがデジタル的であるというのが定説である。時間も、空間的位置も、エネルギーも、連続値ではなく離散値に量子化されている。最近の量子カオス系の学説では、プランク定数よりも小さな最小単位の存在が確認されているそうだが、いずれにせよ連続値ではなくて「飛び飛びの値」である。

*4 それはそうだ。現代でも賭博麻雀は実際に存在するが、かつてと違い、相対的に動く金額は「バクチ」と呼ぶにはあまりにも恥ずかしい小遣い程度でしかない。筆者は「リャンピンでおれと勝負できるか?」などと吹っかけられることが度々あったが、動く金額は、株で数百万程度の約定を1日数回行った際の手数料にも満たない。単にジャンケンで10万円賭ける方が疲れないし、よほど「ギャンブル」らしい。

*5 むろん、筆者が電子政府推奨暗号リストに基づく暗号学的一方向関数を利用して「偏らない牌山生成ルーチン」をコーディングしてみせても、彼らは耳を貸さない。

*6 なお、筆者はいくつかのIDを作成して当該「壁」の存在を確認しようとしたが、いつも気づいた頃には1600を遥かに超えており、実証困難であった。そこで、同様にしばしば主張される「R2000の壁」について、任意のR2000直前のユーザの成績の統計を取ったが、その近傍の他のユーザの成績と何ら違いは見出せなかった。ちなみに筆者は、この5000試合程度の間において、1900という「下の壁」が存在するようだ。