僕は、今から約4年前の2005年の秋にネット麻雀を本格的に始めました。
寝る時間と、学校に行く以外のすべての時間をネット麻雀に費やしました。多くのネット麻雀プレイヤーと同様に、その世界にどっぷりとハマっていったのでした。
ネット麻雀を始めてから3、4ヶ月を過ぎた頃、自分の限界を感じました。
当時の実力は天鳳で言うと5〜6段程度だったと思います。仲間内では勝ち頭でしたし、フリー雀荘での勝率は決して悪くは無かったのですが、ネット麻雀の壁の高さに簡単に跳ね返されました。そして、どうすれば強くなれるのかを考えました。
当時、僕の出した方法論は強者の麻雀を観戦して、その人の麻雀をそのまま模倣するというものでした。麻雀はひたすら打てば強くなれるわけではなく、自分の麻雀よりも正しいと思われるものを観戦し吸収することが大切であると思ったのですね。観戦する対象者は、当時頻繁に打ちながら常にRランキングの最上位に位置していた一人の打ち手に限定しました。ロン2で最高の麻雀のみを吸収しようとしたのです。その人が打っている時は、自分は観戦に集中することにしていました。観戦中は対戦相手の手を伏せて、あたかも自分が打っているかのように観戦し、自分との差や選択及び判断基準の違いを明らかにする努力をしました。自分が打つ際には、その人のフォームを思い出しそれと照らし合わせるように思索しながら打ち続けました。
その試みの成果はすぐに数字に現れはじめ、実行開始から半年後には、当時10人程しかいなかったロン2の最高段位である四段を取得し、Rランキングも一桁台に食い込むようになっていきました。そしてロン2を始めてから約2年後の2007年の秋ごろにRランキングの一位になる事が出来ました。その後、ロン2での明確な目標を失ったことや、不調によるモチベーションの低下をおこしました。そして新しい目標と更なる自分の成長を求めて天鳳に移籍する事を決めました。
日本で一番麻雀が強いのは誰なのか?
麻雀という競技の性質上その答えを出すためには、質と量という2つの条件を同時に満たす必要があると思います。ここでいう質というのは、プレイヤーそのものの質や強者を決定する評価基準の質であるし、量というのは、プレイヤーの数や試合数であったりします。つまり運の要素が強い麻雀の場合は、数多く打てる環境で、質の高いプレイヤーが数多く集まり、プレイヤー全員に平等で定量的である評価基準がなければ最強は決められないのではないのかということです。そして、それを決定する舞台としてはネット麻雀が最も適しているのではないでしょうか。
一方で、一見矛盾するようにも思えますが、強者がはっきり決めにくいというような麻雀の曖昧さは麻雀の確たる性質であり、その性質こそが麻雀の長所でもあると思うのです。初心者でも強者に勝てたり、誰でも役満などの夢のある手を作ることができるのが麻雀の長所でもあると思います。強者がいつも勝てるようなゲームだったらここまで愛されなかったでしょう。さらにはルールが多様であることも麻雀の長所なのです。そして、それらの長所の部分を簡単に提供してくれるのもネット麻雀なのです。
長い人生を考えたときに、自分が生きがいを感じられる場所を確保することが重要であり、それは仕事でもスポーツでもなんでもよくて、それを何に求めるのかは人それぞれです。そして、ネット麻雀はその役割の一部を担うにふさわしいものであると僕は思うのです。
2000年代に入ってからのここ10年で、麻雀の戦術は急速に変化しました。麻雀の本質的な部分を明らかにし、そこから新しい戦術を構築し、その技術をアウトプットし普及してきたのは、麻雀プロでは無くネット麻雀の競技者達でした。
東風荘の誕生以来から現在に至るまでに、ネット麻雀は利用人数の多さや技術の面で、麻雀という競技の中心的な存在へと変化してきました。そして、この流れは今まで以上に加速していくことでしょう。