「待ちを読めたところで拍手も点棒ももらえない」
こんな言葉をある戦術サイトで目にし、なるほど名言だなと思いました。流局してから待ちについてあれこれ薀蓄を語る雀士は数多くいますが、彼らを皮肉ったものでしょう。「待ちを当てた」と嘯いても、自己満足の域を出ない推理がほとんどです。
麻雀は運以外に、様々な技術要素が勝負の行方を左右するゲームです。相手の手牌を推理するのも麻雀の技術の一つです。しかし、最近「読み」の技術は軽視される傾向にあります。
「ツキ」や「流れ」を否定し、論理的な打牌選択を追求するいわゆる"デジタル麻雀"はいまや主流になろうとしています。そして、戦術においては「牌効率」と「押し引き」がとりわけ重視されています。なぜならこの2つは最も成績・収支に影響するからです。
それに対し、冒頭の言葉に象徴されるように手牌読みは高度な思考と集中力が求められるわりに見返りが少ない技術です。待ちを相当の確信度で仮に読めたとして、自分がアタリ牌を引いてこなければ読めない打ち手と何ら変わりがありませんし、すでに撤退しているのであれば放銃を回避できます。待ちが読めたので放銃をうまく避けることができたケースと、待ちが読めたので本命以外の牌を勝負できてアガリに結びつけられたケースが「読みの効果があった」といえます。待ちを絞りきれないケースが多いことを考えれば、それほど成績に寄与しないことが分かります。
危険牌候補がいくつもある場合、勝負手であれば危険な牌でも切り飛ばすべきだし逆にアガリが苦しい場合は素直にオリに回れば良いでしょう。自分の手牌の都合で打つことが基本戦術であることに異論はありません。さらに従来の「裏筋」「またぎ筋」などの読みは信頼度が低く、これでは「待ち読みなど意味がない」と切り捨てられるのも無理がありません。
一例を挙げましょう。次の捨て牌でリーチがかかったとします。(アミかけ表示はツモ切りです)
教科書どおりの読み筋であれば、の裏筋
−
、宣言牌の
のまたぎ筋
−
、
−
が本命牌なのでしょう。しかし情報のないピンズは安全なのでしょうか?そもそも
−
は
−
、
−
、
−
より危険なのでしょうか?
の形から
が切られるケースももちろんあるでしょうが、
や
から一面子固定したケースや単純に
を浮き牌整理した可能性は考えないのでしょうか?結局、「この捨て牌では全く待ちは推理できない」というのがのが正しい解答だと思います。
待ち読みは難しい。その労力に見合うだけの効果があるかと言われると疑問です。しかし、今回コラムを担当するにあたり、あえて「読み」をテーマに書こうと思いました。
その理由として、折角コラムを寄稿するのであれば他では読めない内容にしたいと思いがあったからです。待ち読みの分野ならば研究している人が少ないゆえに、目新しいものが書けるという確信がありました。
題材は待ち読み、それも「一点読み」です。「危険牌を絞り込むだけでも困難なのに、待ちを1つに特定するなど本当にできるのか?」そう思われると思います。
一点読みは麻雀漫画の世界に限られるわけではありません。今回5題の待ち当て問題を用意しました。私からの挑戦状と受け取ってもらえばよいでしょう。
東家:ポン → 打
西家:チー → 打
チー → 打
チー → 打